1-3.お互いが幸せにならない「エシカル」には 、意味がない

2004年10月、わたしはインドがどんな場所かも知らないまま訪れました。
本格的に事業をはじめるのは2008年ですが、このインド事業がのちにスプリングの主要事業のひとつへと育っていくことになります。


2008年といえば、日本で雑誌「VOGUE」が、「エシカルファッション」の特集を組んで話題となった年でした。


その4年前に現地へ行き、様々なものを見ることができたのは大きかったですが、そのとき当然「エシカル」という観点はありませんでした。


先に書いたように、ビジネス上の必要からインドへたどり着いただけでした。やりたかったのは、刺繍やビーズワークなどインドの伝統文化を活かし、クオリティーに厳しい日本の市場で勝負できるような、新しいアクセサリーをつくることです。


物を輸入するだけなら誰にだってできます。
当時も東南アジア周辺で物を仕入れる同業者はたくさんいましたが、その国の伝統工芸と日本のトレンドを掛け合わせた質の高い商品はなく、それをインドで実現したかったのです。
なぜ多くの人が、海外で商品をつくったり仕入れたりするのかというと、端的にいえばコストが安いからです。安い人件費でつくった安い商品を仕入れて、物価の高い国で売りさばくというビジネスです。
でも、その国しかできない技を使って、新しいなにかを生み出そうとする発想は、 当時もいまもさほど多くありません。


試しに、市場に出ている「メイド・イン・インディア」の商品を手に取ってみてください。
大半が驚くほど値段が安いものばかりです。
だからこそ、多くの企業はそのビジネスで儲けているわけで、それらはファストファッションや100円ショップなどの商品として、数百円から数千円程度で売買されます。


でも、わたしはそんなものはつくりたくありませんでした。
いわゆる途上国の人々にお金を払い、いわゆる先進国向けに「まあまあ」の商品をつくってもらって、お互いになにかいいことが起こるでしょうか? 生産者や消費者の誰かが本当に幸せな気分になれるでしょうか? もちろん、現地には雇用が生まれますが、雇用なら違うかたちでも生むことはできます。
わたしが求めていたのは、インドの民族文化に根ざした高度な職人技が使われていて、かつ日本のファッション感度の鋭い人たちが納得してお金を払って(といっても求 めやすい価格で)、楽しめるアクセサリーをつくることでした。
インドには、「手がこんでいるな」「どうやってつくっているの?」と思わずうなら される技術がたくさん受け継がれています。
それらを存分に活かして、日本市場向けの生産ラインをつくり、消費者であるわたしたちが商品に見合う対価をきちんと払えば、お互いに幸せになれるはずだと考えたのです。


前述しましたが、わたしは、「エシカル」を意識してインドの事業をはじめたわけではありません。根っからの商売人ですから、ただ「いいもの」をつくり、お互いに 「いい仕事」がしたいと思っていただけです。それには国境なんてまったく関係がないことも、のちに詳しく紹介する韓国の全(チョン)さんとのパートナーシップで確信していました。


ひるがえっていまの時代は、生産にも消費にも「エシカル」という視点が重視されるようになり、ひとむかし前にくらべて隔世の感があります。
でも、ただ流行っているからではなく、結局は、「いかに他者のことに思いを馳せられるか」「お互いに思い合えるか」の話だとわたしは考えます。 お互いに力を合わせていいものをつくり、わたしは気持ちよく対価を支払って、相 手は誇りとともに十分な報酬を受け取る。そして、お客さんに納得して買っていただ
き、幸せな気分を味わってもらう。


エシカルや社会貢献だと肩肘張ることではなく、まず「自分もほかの人も幸せになるためのなにか」がしたい。
そのほうが、みんなが幸せになっていいことも循環するし、なにより気持ちが楽になって、心地よく生きられるような気がしています。

 

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